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  • 人間の行為としての祈り

    〔祈る教会〕

    2015年5月16日(土)

    恵みに聞き従い、感謝している、という意味は、祈りが、自らを罪人と知って、神の恵みを呼び求める人間の一行為でもあるということです。
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    祈りはだから、自分の苦境を理解し、助けが来るということを知る時の人間の応答です。
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    祈りは私たちにとって、何かを成し遂げるための、神と私たち自らの贈り物をするための手段ではありません。
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    祈りは人の行為である限り、それは長話、一連の常套句あるいはつぶやきではありません。祈りは「愛」の行為でなければなりません。
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    祈る―それは一つの行動であり、同時に主が私たちを御心に適う精神状態にしてくださるようにと願う、主へのへりくだった嘆願です。
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    祈りは、私たちを神と結びつかせて、神と共に働くことを許していただくことです。神は私たちを、神と共に生きるように招かれます。すると私たちは、そう、私たちはお答えします、「はい、父よ、私はあなたと共に生きるつもりです」。すると神は言います。「祈りなさい! わたしに呼びかけなさい! わたしはあなたの言葉を聴く、あなたとともに生き、治めよう」。

    カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
    小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、285f。

    祈りにおいて私たちが備えていなければならないこと。あるいは祈りによって整えられなければならないこと。それは愛、へりくだり、です。ですから、祈りは労働組合の団体交渉のように自分の願いをあたかも権利主張のように語ることではないのです。
    私たちはそもそも何かをいただけるようなものではなかったのです。それを祈るようにと招いてくださったのです。神さまと共に働くことを許してくださったのです。なんともったいないことでしょうか。

    (祈り)
    神さま、祈りに招いてくださったことを感謝します。