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  • 主は霊である

    〔聖霊降臨祭〕

    2015年5月29日(金)

    「内なる耳」をキリストの御言(ことば)に対して持つ、御業に感謝する、同時にキリストの福音に責任を負い、ついには―キリストのために人間への「確信」を抱く。これは、キリストが私たちに息を吹きかけ、聖霊を送ってくださる時に、私たちがいただく自由です。
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    この自由を得ることは途方もなく大きなことであり、決して当然のことではありません。それゆえ、キリストの御言を聞いて、感謝しつつ、毎日、毎時必ず祈らなくてはなりません、来てください、創造主なる霊よ! と。
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    私たちがこの自由を「持っている」のではなく、自由は繰り返し神に与えられるものです。
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    この奇跡を弟子たちは主の昇天後、10日間待ち望みます。この休止の後初めて聖霊の降臨が生じ、それと共に新しい共同体が成立します。
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    神学は慣習的に「人文(精神)科学」に含められます。そのことを神学はユーモアを持って甘受していますが、聖霊は人間精神と同一ではなく、むしろ聖霊が人間精神に出会ってくださるのです。
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    人間があの自由を手に入れ、聞く人、責任のある人、感謝できる人、希望する人になるということ、それが生じるなら、それは人間精神の行為のおかげではなく、ひとえに聖霊の働きのおかげです。

    カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
    小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、317f。

    自由ということは、何をするにしても束縛されないということではありません。何をするにしても束縛されないというのは、放縦であり、わがままであり、自己中心の奴隷になっているだけです。
    真の自由とは選択の自由です。何物にも縛られず選び取ることができる自由、それが真の自由です。

    この自由は、神さまからいただきます。この自由は、人間がその手の中に保持することのできるものではなく、神さまから与え続けられなければならないものです。
    ですから人間はいつも神さまに祈り願わなければなりません。

    こうしてこの自由によって、自分がしゃべる人ではなく「聞く人」の道を選択します。
    「責任のある人」「感謝できる人」「希望する人」の道を選択します。
    たとえ自己中心の思いはその正反対のことを望んでいたとしても、イエスさまに祈りイエスさまから自由をいただいて、それらの道を選択します。

    そのような人生は尊い人生であり、豊かな人生です。
    それはひとえに聖霊さまのお働きによるのです。

    (祈り)
    神さま、今日もあなたが与えてくださるまことの自由をこの私にも与えてください。