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  • 赦し-解放する

    まず aphiemi である。これは「解放する」という意味を持つ。贖罪のヤギは人間の罪を負って荒野に解き放たれたが、わたしたちの痛みも解き放つ場所を必要としているとマンスフィールドは言う。それがイエスである。彼は実際に祈りのなかでひとつひとつの罪をイエスに明け渡す。

    牧会ジャーナル、50号、2011年3月1日、26ページ

    赦しへの階段の一段目は、この「解放する」です。自分の心の中におさめて悶々としているのではなく、解き放つのです。解き放つということは、具体的には言葉にして言い表すということでしょう。私の心はこんなに傷ついていますと語るのです。赦せないのですと語るのです。

    壁や空や空気に向かって語ってもいいのでしょうけれども、それでは何か聞いてもらったという感じがないので、同時に話した、解放したという感じがないようです。猫や犬に話すのも不可能ではありませんが、やはり人格をもった誰かに語るということになります。誰も彼も黙って聞いてくれる人ばかりではありませんので、話したばっかりに倍以上に話されてしまうという経験もします。聞くということに徹してくれる人がいればいいのですが現実はそう都合のよいことばかりではありません。そこでイエスさまにお話しするのが一番ですね。

    話すということと離すということはちょっとよく似ているような気がしました。