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  • 神にかたどって造られた人間

    〔人間とは何か〕

    2014年2月19日(水)
    「神はまた言われた、『われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造ろう・・・」(創世記1章26~27節)

    神が人間を造ることによってこの地上に神のかたちを創造したということは、人間が自由であるという点で創造者に似ていることを意味する。まことに、人間は神の創造によって、神の言葉によって自由にさせられているのである。
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    自由とは、むしろ関係であってそれ以外でのものではない。自由であるとは、他者が彼自身を私に結びつけておく時に、私がその「他者に対して自由である」ということを意味する。他者との関係においてのみ、私は自由なのである。自由とは、人間の性質を勝手に変えることができるように、意のままに処理できるものではない。自由とはいわばひとつの出来事である。
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    まさに神こそが人間に対してーキリストにおいてー自由なので、そしてまた神こそが自分の自由を自分のために所有しようとしない方なので、われわれは自由について、<自由とは「他者に対する自由」を意味する>と考える以外はないのである。
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    創造者の自由は、まさに<人間が創造者に対して自由となること>をわれわれ人間に許したということによって確証される。

    ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
    村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、88頁ff。

    自由という言葉は、束縛されないという意味だと思いますが、世界の中にたった一人だけ存在していて、何をやっても自由なのだと生きたところで、そこに幸福があるとは言えません。もちろんたった一人だけで存在する、生きていくということは現実的ではありません。人間は一人では生きていけないのです。
    自由とは、他者との関係においてのみ自由なのである、とボンヘッファーは語ります。
    他者の言葉に怒ることもできれば、笑うこともできます。それを選ぶのは自分自身の自由です。自由な人は、自分にとっても他者にとっても幸福な道を選択します。
    しかし不自由な人はそうではありません。選択の自由がなく、不幸な道しか選ぶべないのです。
    キリストを信じるということは、この選択の自由をいただくことです。
    神さまこそ自由なお方なので、この神さまに生かされていくなら自由に生きることができます。
    神さまの自由さは、「人間が創造者に対して自由となること」を、私たち人間におゆるしになられたところに豊かにあらわれています。神さまは、なんと自由なお方でしょうか。

    (祈り)
    神さま、あなたが、あなたに対する自由を人間に与えられたことに驚きます。どうかこの自由を乱用することなく、いつもあなたへの賛美と隣人への愛に用いることができるように、自由を増し加えてください。あなたの自由さを教えてください。