〔わが魂はあなたを慕いあえぐ〕
2014年5月18日(日)
「わたしはかつて祭りを守る多くの人々と共に群れをなして行き、喜びと感謝の歌をもって神の家に入り、ひれ伏した。今これらのことを思い起こして、わが心をそそぎ出すのである。」(詩篇42:4)
私はひとりである。自分が心を注ぎ出すことのできる人は、誰もいない。そこで私は、私の慕いあえぐ神の前で、心を注ぎ出す。誰ひとりとして聞いてくれる者がない状態にあって、私は苦悩を自分の心のうちに押さえこまず、むしろ自分の心を神に注ぎ出すのである。・・・
しかし孤独になればなるだけ、私のうちで、他のキリスト者との交わりを求める叫びが強くなる。・・・
神を呼び求める者は、イエス・キリストを呼び求め、イエス・キリストを呼び求める者は、教会を呼び求めるのである。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、247頁ff。
教会の交わり、兄弟姉妹と共に神さまを賛美し礼拝することは、喜びです。しかしお互いがこの地上に生きる人間である限り、そこには人間ならではの問題も生まれます。その問題の中で傷つき、イエスさまは信じるけれども、教会は必要がない、と思う人もいるかもしれません。
しかしボンヘッファーは、イエスさまを呼び求める者は、教会を呼び求める者となる、と語ります。神さまが人間をお造りになられたとき、人間は孤独で生きることができるようには造られなかったのです。
きょうは、主の日、礼拝の日です。兄弟姉妹と共に神さまを礼拝すること、イエスさまを礼拝することを喜びたいと思います。
(祈り)
神さま、教会姉妹と共にあなたを礼拝できますことを感謝します。