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  • 洗礼の本質は再生の写しである

    〔イエスの洗礼と私たちの洗礼〕

    2015年1月13日(火)

    洗礼において表現される、イエス・キリストの死と復活に与ることで聖霊の働きを通じて人間に生じるもの、それはまことに将来の永遠における新しい生命への「再生」であります。
    ・・・
    洗礼は教会の入り口と、そしてどのキリスト者の生活の始めにも、目には見えない霊的誕生の、目に見える印であります。

    カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
    小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、44ff。

    私たちはイエスさまを信じて新しく生きる者になります。
    信仰によって新しく生きる者になります。
    信仰は目に見えないものです。目に見えない信仰の始め、すなわち目に見えない霊的な誕生は、目に見える印である洗礼によって始まります。
    洗礼は目に見える印として私たちの信仰生活の誕生です。

    信仰さえ持っていれば洗礼のような儀式はいらないという考え方も人間は持ってしまうかもしれません。しかしそれは人間の弱さを知らない、すなわち人間というものを知らないだけでしょう。
    人間は目に見えない信仰によって支えられ生かされるのですが、それが目に見える印によって支えられなければならない弱い存在なのです。
    揺れ動く人間の心を、神さまがしっかりと支えてくださる印。その印を神さまは私たちの信仰生活に与えてくださいました。

    洗礼は、単なる儀式ではなく、イエスさまの死と復活に与るものです。聖霊さまのお働きによって与えられる再生の時です。

    (祈り)
    神さま、洗礼を与えてくださり感謝します。きょうもあなたの恵みの中に入れていてくださることを感謝します。