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  • 「そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った」。 マルコによる福音書2章14節

    〔弟子の召命〕

    2015年1月21日(水)

    レビが「イエス」を見たか否かは重要ではありません。イエスが「レビ」をご覧になります。
    ・・・
    レビは、この職業を営んでいるという、それだけのことでユダヤの民族および宗教共同体から閉め出されていましたし、律法の前で、そして律法の職業的解釈学者及び代理人の目には、それぞれに違反者の一人とされずに済むかあるいは数えられていた人びとの一人です。
    この男をイエスは「通りがかりに」ごらんになる。
    ・・・
    どうしてイエスはこの男を召命する気になられたのでしょうか。イエスはそう「なさる」。どうしてこの男はイエスに聞き従う気になったのでしょう。男はそう「します」。このような双方ともただただ驚くべき、ただまさに実際行われた単純な「出来事」において、イエスの見事な手並みと、この方の弟子像が生じてくるのです。

    カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
    小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、58f。

    イエスさまのお持ちになっておられた「弟子像」とはいったいどのようなものだったのでしょうか。
    レビに関していえば、イエスさまに見られたということ、イエスさまにお声をかけていただいたということ、そしてそのイエスさまのお声に単純に従ったということ、でしょう。レビが過去に何をしていたか、現在どのような歩みをしていたか、は重要なことではありません。

    イエスさまはそのようにレビを召され、そして私たちを召されます。

    (祈り)
    神さま、レビのようにイエスさまに聞き従う者にならせてください。