牧師の日常と雑感
静まりの時
15 見よ、私は確かに今日あなたの前に、いのちと幸い、死とわざわいを置く。
・・・ 私は、いのちと死、祝福とのろいをあなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。(15、19~20)
神さまは、私たちの前に、「いのちと幸い」「祝福」と「死とわざわい」「のろい」を置かれます。神さまは私たちを祝福したいと願っておられますが、その祝福を与えるにあたり、私たちに「選ぶ」ということを望まれます。自動的に、あるいは一方的に祝福を与えてくださるほうが安全でよいように思いますが、それは神さまのみこころではなかった、ということです。
私たちが与えられた自由を用いて「いのちを選ぶ」ならば、神さまは私たちを祝福しようと約束してくださったのです。
もし自動的に与えられるというのであれば、そのいのち、幸い、祝福は、本当のいのち、幸い、祝福でなくなってしまう、ということかもしれません。私たちが選び取るということがあってこそ、いのち、幸い、祝福は、本当のものになる、ということだと思います。
神さまが祝福を置いてくださる。私たちがそれを選び取る。そうして神さまは祝福を与えてくださる。これによって、備えられた祝福はまことの祝福となる。なぜそれがまことの祝福なのか。まことの祝福とはいったいなんであるのか。
神さまが置かれた祝福が、私たちが選び取ることによって、神さまのとの関係の中にある祝福となる。料理人の料理が、無理やりに提供されるのではなく、食する者によって選び取られる。それは料理人にとって喜びであると思います。それと同じように、祝福を選び取ることで、神さまは喜んでくださる。神さまの喜びを生み出す祝福こそ、私たちにとっての本当の祝福である。逆に神さまに喜びを生み出さないものであれば、それは祝福とは言えない。
12年の長血の女は、イエスさまの衣の裾に触ることによって自らの身にいやしを感じました。しかし同時にイエスさまのほうにも、自らの身体から力が出て行ったことをお感じになられました。女性が祝福を選び取ったことを、神さまご自身がお感じになられたのです。そのことをイエスさまはお喜びになり、そして女性をあらためて見いだし祝福のお言葉をかけてくださいました。一方通行の祝福では得られない祝福を、この女性はいただいたのだと思います。私たちも、いのち、幸い、祝福を選び取りたいと思います。
静まりの時 テーマ:患難との戦い 聖書箇所:ヨブ10・1~22 日付:…
静まりの時 テーマ:仕える 聖書箇所:ルカ14・7~11 日付:202…
静まりの時 テーマ:仕える 聖書箇所:エペソ6・5~9 日付:2025…
静まりの時 テーマ:仕える 聖書箇所:ガラテヤ5・13~15 日付:2…
静まりの時 テーマ:仕える 聖書箇所:ローマ12・3~8 日付:202…