説教準備、神学の学習、いろいろな勉強のためには手書きは大切なことと感じています。
人間は、モノの価値をその入手の困難さに比例して感じるようです。たとえばブランド物はそれを手に入れるために自らが支払った金額に比例して価値を感じます。さまざまな取り組みも、ときに宗教の価値も、自分が取り組んだ時間、労力が大きければ大きいほど、その取り組みに価値を見いだすものです。それと少し同じように、情報も苦労して手に入れたものには価値を見いだし感じるものなのだと思います。
こんにちインターネットのコピーアンドペーストでたやすく手に入れた情報には、自分の中の価値観がすくなく、結局収集はしているけれども、学習ということには結びついているばかりではありません。それでやはり考えをまとめるためには手書きをすること、読書で心にとまった言葉は手書きでノートに書き記すこと、は学習ということにおいてはとてもいいことなのだと思います。書くということと考えるということは、密接に結びついているようで、考えることで書くということをするのですが、逆に書くことによって考えが生まれるということさえ経験することができます。また電源のない所でも時間を気にせず安心して考えていることができます。きまぐれに落書きも、スケッチもすることができます。
しかし、それでも情報は増えるばかりで、そのすべてを手元に置いて活用することができるかといえば、難しいというのが現状です。
そこでWindows用のソフト「知子の情報」が役に立ちます。1996年にパソコンを手にして以来、ずっとお世話になっています。これは不定形のテキストデータベースで、メモから説教原稿、本からの引用文、などなんでも気軽に入力でき、蓄積された文書を瞬時に全文検索することができます。文字コードがシフトJISしか使えないので、例えば森鷗外の「鷗」は「鴎」しか使えないので、こだわりの文字を使いたいというときはあきらめるしかありませんが、私の仕事や勉強のため程度ならば、かけがえのないソフトです。現在Windows10に対応していますが、今後の進化するOSにも対応し続けていただけることを願っています。