2018年12月23日に行われるクリスマス礼拝に先立ち、その前週の16日、彦根の教会にてクリスマスの集いが行われました。民家を少し改良した教会堂にひびくクリスマス賛美、クリスマス物語の聖書朗読、クラリネットの特別演奏、すべてが素晴らしく、主イエスさまのご降誕を心からお祝いしました。私も短く聖書のお話しをさせて頂きました。
神学校でお世話になった恩師が、ある授業の時だったか礼拝説教の時だったかに、自分は小さなクリスマスを追い求めています、といわれたことが、私の記憶に残っています。商業主義の中に祝われる盛大なクリスマスもそれはそれで素晴らしいのですが、二千年の昔、最初のクリスマスは小さな小さなクリスマスでした。まことの王としてこの地上にお生まれになられたイエスさま、そしてマリヤとヨセフには、宿がなかったと聖書は伝えます。この弱く小さな誕生、それは世界から見ればまさに弱く小さな誕生でした。しかしこの誕生こそ、神さまの救いのしるしであるというのです。彦根の小さな教会で行われたクリスマスの集いは、まさにこの神さまの救いのしるしを感じさせてくれる時でした。
若い夫妻が忙しい合間を縫って準備をしてくださいました。チラシの作成、会場準備、聖書朗読の段取り、プログラム、そして特別賛美と司会などなど。それを教会の皆さんが見守り、受け入れ、協力し、祈り支えておられます。私、牧師はというと、東近江での奉仕を終えて駆けつけますので、ぎりぎり集いの直前に会場である教会に到着するということもあって、聖書のお話しのみに集中させてくださいました。
牧師にとっては、牧師しかできない奉仕に集中させてくださる教会は、ほんとうにありがたい教会です。教会奉仕に雑務はありません。どんな奉仕でも雑にするならば雑務になるのですから、すべてのことに心を集中して愛をこめて行うことが奉仕者にとっては大切なことです。しかし説教奉仕以外のことは、牧師でなくても可能ですし、牧師以外のほうが上手になされる場合も多いことです。説教奉仕に集中させていただけることはありがたいことです。