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覚悟をつける

光圀は胸いっぱいの感動にうたれていた。人間の心がこれほどひとすじにつき詰められるものだろうか。この君こそと思いきわめ、まずおのれの命を抛って子孫の生きる道を示す。戦場ならかくべつだが、泰平の世にこれだけの覚悟をつけるのはたやすいことではない。-かえすがえすも惜しい者を殺した。まざまざと十六年前の後悔を思いうかべながら、光圀はしずかにうなずいた。

「それでよく子細がわかった、数年前より参覲の上り下りに、供をしてまいったのもそのほうであろうな」

「恐れ入り奉ります」彼は面を伏せた。

「そのほうの父を死なせたのは余の不明であった、ゆるせ・・・・・・」ゆるせと云いながら、はじめて光圀の眼から涙があふれ落ちた。五郎兵衛は平伏し、これも背になみをうたせて、ひっしに嗚咽をこらえていた。

山本周五郎、『日日平安』、「水戸梅譜」、51ページ

命を抛(なげう)って子孫の生きる道を示した主人公の覚悟、それを受け止める家族、関わる人びと・・・。この覚悟は命を軽々しく扱うこととは別なことと思いました。最初に掲載されたが昭和17年ということですから、真珠湾攻撃の翌年です。日本は君のために命を捨てることがよしとされた時代だったのではないかと思います。

それはそうと、主イエスさまのお仕えすると云うことも「この君こそと思いきわめ」て「覚悟をつける」ということでしょう。泰平の世にあってこの覚悟をつけているか、あらためて考えさせられます。

 

HI370246


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