専門家たちは千年に一度の天変地異と言い、子どもたちは大鯰が暴れたと言い、信仰者たちは背信者や背徳者たちに下された審判だと言いますが、神が罰したのは、かくてわたくしの仲間である、かの信仰者たちのほうではないか。滅ぶべきは、虚言を弄してわたくしと夫と息子たちを苦しめ続けた信仰者たちのほうではないか。いいえ、罪のない人びとを巻き添えにする神こそ、ここで死んだのでしょう。それが証拠に、当地で羽を休めているのは漆黒のカラスばかりで、ウミネコもカモメもおりません。
(高村薫、『土の記』、新潮社、2016年、下巻、144頁)
キリストは、「人に惑わされないように気をつけなさい・・・しかし、終わりが来たのではありません・・・方々にききんと地震が起こります・・・最後まで耐え忍ぶ者は救われます・・・この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません」(マタイの福音書24章から)といわれました。つまり地震や天変地異が起こっても、それによって終わりが来たのではない、どのようなことが起こっても、神さまの言葉は滅びることがないのだから、聖書の言葉に立って、忍耐して生きていきなさい、何があっても大丈夫、わたし(キリスト)は世の終わりまでともにいますよ、と慰めと励ましを語ってくださいました。
おおよそ世の終わりを語り、人心を惑わし、人々から忍耐を失わせ、日々の生活を放棄させてしまうものはみな、聖書の語る終末の考え方ではありません。
聖書はどのような時も、平安と感謝をもって生きる道を私たちに語っています。罪のない人びとを巻き添えにした神はどこまでも謎ですが、十字架においてすべてを耐え忍ばれた神は私にとって真実です。