幼いイェス様
2017年12月26日(火)

こんなにあなたも小さかった時には、
あなたもおん父君のようには御話ができなかったでしょう。
ですから、幼い御子として、おりて来て、
御口から洩れるようなおさな児の言葉を聞き、
わたしの手をとって一緒にあるき、
赤ん坊のようなこの話に御耳を貸して下さい。

〔フランシス・トムソン〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
392頁

「私の祈りがあなたの御前に届きますように。どうか、あなたの耳を私の叫びに傾けてください。私のたましいは、悩みに満ち、私のいのちは、よみに触れていますから。私は穴に下る者とともに数えられ、力のない者のようになっています。」(詩篇88・2~4)
「すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』」(マタイ25・40)

クリスマスの神秘は、神が人となれらたことにあります。まことに偉大なお方が小さくなられたことにあります。
この世は小さいものを評価しません。大きいものを追い求めます。大きいものを負い求めるととたんに戦いが生まれ平和が壊されます。また自分の中から平安が失われます。
神さまを信じるということは、いと小さくなられた神さまを信じることです。この幼な子となられたイエスさまを信じること、信頼することです。

この小さくなられたまことの神さまなので、私たちはどんなこともこの神さまに祈ることができます。


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