常に祈禱す
2017年11月30日(木)人すでに飢えたるを覚えば、何で食せざるを得ん。しかも食は飢えを防がんがためのみにあらず、これによりて働くべき力を得、健康を得、意力を得んがためにあらずや。祈禱を要するゆえん、またじつにこれにほかならず。喜ぶ時に感謝あり、望む時に祈禱あり。しかして念々神に咫尺(しせき)するを怠らず、かくのごとくにして一日を送る。これ清き一日を送りたるなり。かくのごとくにして一生を終わる。その一生はじつにまじめにして、かつもっとも健全有益なる一生なり。
〔留岡幸助〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
364頁
「絶えず祈りなさい。」(1テサロニケ5・17)
祈りは神さまとの交わりである、ということでしょう。
「咫尺」(しせき)とは、広辞苑によると「近い距離、接近すること、貴人にお目にかかること」ということです。
神さまとの交わりの時を後回しにして、神さまの事を知ることはできないでしょう。神さまの御心の道を歩むことはできないでしょう。神さまが与えようとしていてくださる平安をいただくこともできないでしょう。
絶えず祈りましょう。