義人の祈禱
2017年11月29日(水)ここに義人とあるのは、その意義をやや異にし、まことにその罪を悔い全然キリストに服従するの精神を有する人を指すのである。他の言葉をもって言えば、神と調和し、神と一致した人、キリストによって神に連なった人、すなわち真実のキリスト信者を指すのである。されば私共において、祈禱に第一に必要なるものは、神と人と和(やわら)ぐことである。
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イエスが祈禱を教えたもう時にいつもくりかえし、くりかえし人の罪をゆるすことを教えたわけは、吾人が神と和ぎ人と和がんためである。〔小崎弘道〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
363頁
「だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。」(マタイ5・23、24)
神さまの一方的なあわれみによって、神さまとの関係を回復していただきました。そうしてはじめて人との関係も回復へと向います。
神さまへの祈りは、神さまとの関係が回復されていること、神さまと和らいでいることをあらわしています。和らぐというのですから、神さまは人格をお持ちの御方です。その人格をお持ちの神さまに祈るとき、心は和らぎの中に、平和の中に、平安の中にあります。祈りは人にとっては喜びの時です。