神の栄光のため
2017年10月28日(土)

カルヴァンは、何よりも先に、ひとつの意志である。
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かれはつねに張絞られている弓だと言われていた。この弓が即ち意志なのである。
・・・
かれの精力の秘密をわれわれにあかししてくれるような次のことばを書いている―「われらの神の誉れに関することならば、いかなる困難であれ、それを言訳にすることはできない。」

〔J・D・べノア〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
328頁

「御名の栄光を主にささげよ。ささげ物を携えて、主の大庭にはいれ。」(詩篇96・8)

 人間は神さまの御名の栄光を主にささげるために生きています。人間の造られた目的はそこにあります。あらゆる作られたものはその目的に従って存在するとき、充実します。作られたもの自体が充実しますし、それを取り巻く世界も充実します。人間も神さまの造られた目的のとおりに生きる時、自らが充実しますし、取り巻く世界も充実します。私たちが生き辛さや空しさを感じるとしたら、この生の本来の目的を見失っているからかもしれません。自分を取り巻く世界に、家族に、社会に、その関係に問題があるとすれば、この生の本来の目的を見失っているからかもしれません。
 神さまの御名の栄光を主にささげることをはじめてみたいと思います。

 神さまの御名の栄光。神さまが神さまであることの存在感。神さまのその名をが自分の人生において確かな存在感を持つ生き方を取り戻しましょう。その存在感を自分のためにではなく、神さまのために、神さまの御手の中におささげしましょう。自分の手から離して、神さまの御心の中におゆだねしましょう。


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