輝く太陽と蠅
2017年10月8日(日)それはスイスでのことであった。彼(ムイシキン侯爵)が治療を受けた最初の年、いや最初の幾月かのことであったのである。その当時彼はまだまったく白痴同然で、ろくろく話も出来なければ、人が何を求めているのやら時にはさっぱり呑みこめないようなことさえあった。太陽がきらきら輝いているある晴れ渡った日のこと、彼は山に出掛けて行って、或る悩ましい、だがどうしてもはっきり言い現わすことの出来ない考えを胸にいだいて、長いこと歩き回ったことがあった。彼の前にきらきらと輝く青空がひろがっていた。下の方には湖があり、四方には極まるところも知らない、明るい果てしない地平線が連なっていた。彼は長いことそれを眺めて苦しんでいた。自分が両手をこの明るい、果てしない空に向かって指しのばし散々に泣いたことが、今その胸に浮かび上がって来たのだった。これらすべてのものに対して自分はまったく縁もゆかりもない他人だということが、彼を苦しめたのである。
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自分の傍で輝かしい太陽の光を浴びてぶんぶん唸っているどの蠅もみんな、すべてこのコーラスの一員で、おのが居るべき場所を心得、その場所を愛しそして幸福なのだ、どの草もみんなすくすくとのびそして幸福なのだ!・・・ただ一人自分だけは何にも知らない、何一つわからない除け者なのだ。〔ドストエフスキー〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
308頁
「神なる主よ。あなたは、私の若いころからの私の望み、私の信頼の的です。私は生まれたときから、あなたにいだかれています。あなたは私を母の胎から取り上げた方。私はいつもあなたを賛美しています。」(詩編71・5,6)
自らがすべての被造物と共に神さまによって造られたものであり、いまここに置かれたものであり、そうして神さまから与えられたいのちに生きる者であることを知ることが、生きる力となるのです。