取税人の偽善
2017年10月4日(水)

パリサイ人がその祈りの中で不敬にも、「神よ、わたくしはこの取税人のような人間でないことを感謝します」と言ったのと同じように、いかにも信心深そうに”神よ、わたくしはこのパリサイ人のような人間ではないことをあなたに感謝いたします”と言う偽善者がおります。
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キリスト教は世に来たり、そして、”あなたは、饗宴に招かれたとき、誇らかにうぬぼれて、最上の座席を求めるべきではなく、末席に着くべきです”と教えました。―そこですぐに誇りと虚栄とはうぬぼれて食卓の末席に着きました。同一の誇りと、同一の虚栄とがです、いや、同一のではありません、よりいっそう悪い誇りと虚栄がです。

〔キールケゴール〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
304頁

「自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。」(ルカ18・9)

 キリスト者はパリサイ人の偽善を批判します。しかし自らがいつの間にかパリサイ人の偽善のなかに落ち込んでいる場合があります。「自分を義人だと自任」すること、「他の人々を見下すこと」を自分の中に発見します。主よ、こんな罪人の私をあわれんでください。


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