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恵みと平安と

恵みと平安と
2017年7月24日(月)

「願わくは我らの父なる神より賜う恩恵と平安と汝らに在らんことを」(コロサイ1・2)
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パウロもギリシャの人々の挨拶語をうけつぎながら、その語義として盛りうる限りをたしかめ、更には、福音による転義を含蓄せしめたのである。
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パウロはあえてこの習慣にしたがいつつ、キリスト・イエスの父なる神の態度に、この語をもって表白せざるをえぬもののあることを、実感し、こと新しく「恵み」と発音したのであろう。

〔小塩力〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
224頁

「どうか、私たちの父なる神から、恵みと平安があなたがたの上にありますように」(コロサイ1・2)

昨日の説教の個所でも「幸いです」という言葉を学びましたが、日常会話の中で「幸いです」というとかなり軽い意味しかないように感じますが、これは幸福ということですから、人生においていったい何が幸福であるのかということが語られていることなのです。

同じように手紙や挨拶などで使われる「祈っています」ということばも、単なる挨拶の言葉として形骸化し中身についてはほどんど考えられることがないように思えます。しかし祈っているということですから、そこではしばしペンを置いて手を合わせ神さまにお祈りをしなければなりません。

神さまからの恵みと平安がありますようにとのパウロの祈りは、そのような深さを持ったものなのです。私たちの語る言葉もいつも真実で中身のあるものでありたいと思います。


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