キリスト者の自己否定
2017年7月4日(火)われわれはわれわれのものでない。
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人間にとっては、自分の言うことを聞くと、滅びにいたる最も有効な疫病となるが、そのように、自己自身によっては何も知ろうとせず、何も欲せず、ただ主の指導のみ従うならば、それは救いの唯一の港となるからである。そういうわけで、われわれの第一の段階は、自分自身から離れて、己が知恵のいっさいの力を傾けて、主への従順に適用するにある。「従順」とわたしがいうのは、単に御言葉への聴従ではなく、人間の精神が、自らの肉的感覚をむなしくして、神の御霊のよしとしたもうままに、全面的に変わることをさすのである。〔カルヴァン〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
204頁
「私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。『光が、やみの中から輝き出よ。』と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」(第2コリント4・5~7)
救いの唯一の港。
自分の理性、意志、思いはかり、なすべきことに支配されない。
自分自身と、自分のものとを忘れること。
ただ神さまのために生き、神さまの知恵と意志とに支配されること。
神さまに向かうこと。神さまにゆだねること。