神聖なる火
2017年7月2日(日)兄弟の一人が、為すべきように行動しないならば、機会を待って、感情を害しないように親切な言葉を掛けなさい。・・・如何に魯鈍の人間でも、如何に辛辣なる敵でも、神の御心は彼を軽んじない。
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人間の偉大性は彼の博学に依らずして、無私に依る。博学なる者は、無学なるものよりも利己主義になりやすい。十字架上のキリストを眺めよう。
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説教に火が無ければ人心を熱くすることは出来ない。・・・人心を熱くするには神聖なる火が必要である。〔新島襄〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
202頁
「ヨハネはみなに答えて言った。『私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつのひもを解く値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。また手に箕を持って脱穀場をことごとくきよめ、麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。』」(ルカ3・16,17)
「また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」(詩篇2・3,4)
パッションは愛と訳されますが、同時に十字架の受難をあらわしています。愛の炎は、受難の炎です。