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祈りは聴かれる

祈りは聴かれる
2017年6月29日(木)

大阪に浪華教会を起し、又梅花女学校を創立した澤山保羅は、長らく肺患に悩んだ人であるが、彼が死んだ時、友人が寄って後片付けをすると、忽ち枕の下から一綴の紙片が出て来た。めくって見ると、これは多数の友人知己、其の他の人名を書いたものにて、彼は毎日折さえあれば、それを繰りつつ、其の一人々々の為に神の祝福を祈って居たのである。
・・・
真の基督者は、よしや不幸にして長らく病床に横たわり、何も出来ない様に見えることがあっても、決して無駄には病臥しない。必ず何等かの方法を以て、尚も神の栄光を顕し、又人を益するの奉仕をせずには止まない。私共は無意義に病気しないのである。

〔山室軍平〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
197頁

「このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。夜明けになって、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をつけられた。」(ルカ6・12,13)

祈りはいつでもどこでも出来ます。しかし人間は弱い者です。祈りに集中するためにはそのための時間と場所が備えられることは大切なことでしょう。イエスさまも、祈りのために山に行かれました。また昼ではなく夜を選ばれました。
病気は決して良いことではありませんが、祈りのための時と場所が備えられることでもあります。もちろん苦しみや痛みが大きければ祈りどころではないというのも無理のないことですが。
聖書の神さまは、私たちの小さな祈りを聞いてくださるお方です。


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