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インマヌエルの祈り

インマヌエルの祈り
2017年6月24日(土)

御身自らをわれら罪人の共同体と数えて「われら」と称し、われらとなりきりたまいつつ、イエスは、インマヌエル、神われらとともに在したまえ! と祈りたもう。
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パウロは、「人は皆イエス・キリストの事を求めず、唯おのれの事のみを求む」と嘆じ、「おのおの己が事を顧みずして、かえって人の事を顧みよ」と奨めているが(ピリピ2・4,21)、人の事を顧みるといい、イエス・キリストの事を求めるというのは、結局、イエス・キリストにあって己れを他人の共同体の中に数えて「われら」と称し、他人とひとつになりつつ「神われらとともに在したまえ」と血潮の祈りを祈ることにほかならない、と言えよう。

〔橋本鑑〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
192頁

「『見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)」(マタイ1・23)

キリストは私たちの中にあって、私たちと言われます。神さまが、私たち罪びとの中に共にいてくださるのです。これが聖書の語る福音だと思います。


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