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我をとらえ給え

我をとらえ給え
2017年6月21日(水)

主よ我を捕虜となし給え、
さらば、我自由とならん。
我が剣をなげうたせ給え、
さらば我征服者とならん。

〔ジョージ・マセソン〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
189頁

「柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。」(マタイ5・5)

讃美歌333番「主をわれをば」より。
神さまを信じて生きる人生を、窮屈で不自由な人生である、という人がいます。その人は自分の歩む人生の道をすべて見渡すことができると錯覚しているのです。人間は明日を知りません。暗闇の中を歩むに等しいのが人生なのです。そのような暗闇の中を自由に歩くということが、どんなに不自由なことであるのか。暗闇の中を歩いたことのある者は誰でも知っています。
暗闇の中に放り込まれた時、そこに明かりがともされ道が見えるか、あるいは以前暗闇であっても確かな先導者が手を引いてくれるならば、どんなに自由でしょう。
神さまのみ言葉の光に照らされ、神さまの御手に導かれることはなんと自由なことでしょう。
それにしても私の握力で神さまの御手を握りしめているとしたら、握力の小さな者にとっては心もとないことです。神さまが私の手をしっかりと握っていてくださる、神さまが私の全存在を捕えていてくださるということが、私を全き自由にします。


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