わたしの愛と賛美
2017年6月13日(火)独りでいるときも、人前にいるときも、私のいっさいの行為を、それを審きたもうべき神の、またわたしがそれらのすべてを献げた神の、眼前においてわたしはおこなう。
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あらゆる栄光は彼の恩寵に帰せられるべきであり、わたしには、悲惨と誤謬があるばかりである。〔パルカル〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
181頁
「国々の民の諸族よ。主にささげよ。栄光と力を主にささげよ。」(詩篇96・7)
「律法を定め、さばきを行なう方は、ただひとりであり、その方は救うことも滅ぼすこともできます。隣人をさばくあなたは、いったい何者ですか。」(ヤコブ4・12)
自分に栄光を帰す生き方を追求するならば、そこには自らを滅ぼしてしまう力が潜んでいます。自分に栄光を帰す生き方は、結局のところ自分をさばく生き方となり、隣人をさばく生き方となるのです。
悲惨と誤謬の中にある私自身を神さまの御前にゆだねるところに、神さまに栄光を帰する生き方があります。そこには平安と真実があります。そして自由があります。