教会について
2017年5月7日(日)汚れた生活をいとなむものがそこにいるが、かれらは一時的に忍んで受けいれられているだけである。
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そういうわけで、われわれにとっては「目に見えない―ただ、神の御目にしか見えない―教会」を信じることが必要なのであるが、それと同じように、われわれには、人間の目で見て「(見える)教会」と言われるものをも重んじ、これとの一致を保つことが命じられるのである。〔カルヴァン〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
141頁
見える教会と見えない教会。使徒信条で「公同の教会を信ず」と告白していますが、それは自分の属する教会が完全ではないということ、完全な見えない教会があること、不完全な見える教会が完全を目指していること、を告白しているということでしょう。このいずれかが崩れるとき、そこに真の教会が失われてしまいます。すなわち、自分たちの教会は他の教会と違って完全なんだという独善的な教会、地上の教会だけが教会であるという教会、完全を目指さないで開き直っている教会、いずれもキリスト教会ではあるとはいえません。