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イエス・キリストのうちそと

イエス・キリストのうちそと
2017年4月29日(土)

自己の悲惨を知らずに神を知った人々は、神に栄光を帰したのでなく、自己に栄光を帰したのである。
・・・
われわれは、ただイエス・キリストによってしか神を知ることができないばかりでなく、またイエス・キリストによってしかわれわれ自身を知ることができない。われわれはイエス・キリストによってしか、生と死を知ることができない。

〔パスカル〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
131頁

私は罪びとであるということ。悲惨の中にあるということ。悲惨そのものであるということ。その現実を知るということが、キリスト教信仰において神さまを知るということの欠かすことのできない一歩です。その一歩を踏み出さずして神さまを知ることはできません。パスカルの言うように、その一歩を踏み出さずに神さまを知ったと言っている人は、結局自分自身に栄光を帰しているのであって、自分をほめたたえる偶像礼拝をしているだけです。
私が罪びとであるということを、自分の力で知ることはできません。ただキリストの十字架と復活によって、また神の聖霊によってのみ知ることができます。キリスト教信仰に生きる者は、常に十字架と復活を仰ぎ見、御霊の満たしを祈ります。


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