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復活のなぎさ

復活のなぎさ
2017年4月21日(金)

ローマ1・4に、「きよき霊によれば死人の復活により大能をもて神の子と定めた給えり」とあって、イエスの復活を説くときに神の大能ということばを用いている。神のデュナミス・自由な能力、がキリストの全存在においてかたちをなしたのである。そしてその地上の生涯を永遠をもって支えたのである。これが復活にほかならない。

死者が、いま一度地上に生をかえし、主に会い人と交わりうるような、望外の恵みの余分をゆるされた。それがラザロの甦りである。
・・・
ラザロはそこに在る。そしてわれらもこの復活のなぎさに在るのである。
・・・
一切の否定、一切の凝結、一切の物質化に勝つ。否定の究極は罪である。罪の具体的根拠は悪魔である。このサタンへの勝利のうたが、このなぎさにてうたわれねばならない。

〔小塩力〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
123頁

なぎさとは波打ち際のことです。大海を望むその所に立っているように、主にあるものは復活の希望を望んで立っています。はるか向こうには水平線が見えています。そこには確かな岸辺、天の御国があります。なぎさに立っている私たちがやがて大航海に出発するときがきます。確かな岸辺に向かって出発する小舟は、こちらの岸からは少しずつ小さくなります。しかし向こう岸で待つ父なる神さまからはしだいに大きくなってゆくことでしょう。
きょうも私たちは復活のなぎさに立って勝利者キリストをたたえます。


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