自己憐憫
2017年4月10日(月)ただ一つのことだけをここでは考えたいのですが、それは「自己憐憫」ということです。私ほどかわいそうなものはない、そしてそういう時私たちは他人を恨みます。
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キリストは、悲しみに負けることと、魂が眠ることと、誘惑というものを同じこととして言っておられます。われわれが、私ほどあわれな、かわいそうなものはない、そしてなんと他の人はひどいんだろう、悪くない私がこんなひどい目に会っている、そういう具合に悲しげになっている、ということは魂の眠りであって、それは誘惑だというのです。目をさまして祈るということは、そのようなちっぽけな、卑小な自分にならないようにすることだ、というわけです。〔鈴木正久〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
112頁
自己憐憫に陥ること、しばしばです。そういう時は「人間の卑小化」がおこっているといいます。それは魂の眠りであり、誘惑なのです。
神さまの愛の中に自らが置かれていることを確かにしましょう。