キリスト教への問い
2017年4月6日(木)自分のことで心を痛め、悔い改める者になるよりほかに、われわれは自分の国民の不幸を片づけることはできないのである。ここでも考えを全く変え、道を変える緊急の必要がある。他者を告発する役割を演ずる権利はない。いっさいの罪を忘れ、その非道をアドルフ・ヒットラー一統のせいにして自分の罪を軽くしようと、必死に努力したところで、神から見ればわれわれがまず被告だからである。六百万ユダヤ人の組織的虐殺、隣邦民族に与えた苦悩の責任を逃れることを、そんなに安易にやってのけることはできないのである。
〔ギュンター・ヤーコプ〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
108頁
日本の戦績告白を考えようとすると、すぐに西欧諸国の植民地政策や奴隷問題を出して「みんなやってきたではないか」という人がいます。しかしそれでは確かな将来は築けないのです。
自分の罪をしっかりと見つめるところに確かな将来が築かれるのです。真実に赦して下さるキリストとの出会いがあるのです。上記のように自分の罪を軽くしようと必死に努力する人は、結局のところあのむごたらしい十字架にお架かりくださったキリストにお出会いできないのです。