信仰への目覚め
2017年3月15日(水)ある日私はふと私自身の上に注がれつつある熱き眼を見た。
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唇をかみ拳を固めて突立ったる威容?はくずれて、ただ水の如き平和と若木の如きいのちとが、静に極めて静に私の衷(うち)に充ち溢れた。私はかの熱き眼をみたのである。その眼に溢れたる熱き真実をみたのである。私も亦私の真実を以てかの真実にこたえざるを得なかった。私はかの真実にとらえられたのである。その真実者が私の信頼する神である。すなわち神は言わば私の初恋である。私は神に於て初めていのちに触れたのである。
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若し我ら神を信ずると言いて、神に対する活けるこころのときめきがないならば、それは真に信ずるものではないと私は考える。信仰は貞操問題である。〔三谷隆正〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
83頁
聖書の中に偶像礼拝を厳しく禁じる文言が出てきます。三谷隆正のことばによるとそれは貞操問題なのですね。
ところがご利益宗教と化したキリスト教では、それを災いが来ないための方策であったり、祝福を手に入れるための手段であるかのように解かれてしまいます。
今日私たちプロテスタント教会の多くの問題点がここにあるのかもしれません。