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救いの確かさ

救いの確かさ
2017年3月13日(月)

教会が福音主義を離れて祭司主義に傾いているからだ・・・
・・・
立派な信仰のおかげで、それを自慢のたねにして、堂々大手を振って天父の台前に出ようというのですか。それならば信仰というものは神さまに信頼することでなくて、自分の腕前に自恃することになるのではありませんか。その自誇自矜を棄てることが信仰です。そうしてそこに真個の安心が湧くのです。確信ができるのです。われらの薄信弱行もわれらを大愛のみ手より放つこと能わずです。安心であります。大磐石上の金縛りであります。風が吹こうが雨が降ろうがビクともするものではありません。

〔三谷隆正〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
81頁

「大磐石上の金縛り」。いいことばです。
自らの不信仰を嘆くことが、神さまの大きな愛のみ手の中にすべてをゆだねることにしっかりと結びついていることが、福音信仰です。
自らの不信仰を嘆くことが、自らの行いを自分の力で矯正しようとすることにつながってしまうのは、福音信仰ではありません。自らの行いを自分の力で矯正しようとすることは、うまくけば高慢になりうまくいかなければ自己憐憫、自己嫌悪に生きることとなるでしょう。そもそも自らの行いを自分の力で矯正することは出来ないことなのです。
神さまのみ手にすべてをおゆだねしたいと思います。


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