己(おの)れに克(か)つは神の能力(ちから)なること
2017年3月8日(水)ひとが神を信じてこの恵みを享くるときは、人間の工夫や力にてあるいは志を立てたの、または決心した悔心をしたなどというような、しばらくの克己心ではございません。
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常に望み見るべきの模範を神はあたえました。「イエスすなわち信仰の先導(てびき)となりてこれを成全(まったく)する者を望むべし」とその信仰の先導となりたもうイエスは、己れに克ちたまいしお方、これを望みこれを模範(てほん)となす故に、高尚の度に達することができます。〔小川義綏〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
76頁
キリストを模範として頑張るぞ、というのではなく、キリストを模範として仰ぎ見るぞ、ということです。頑張るぞ、は倫理道徳の世界、仰ぎ見るぞ、は信仰の世界です。信仰は神さまが成してくださることに期待して生きることです。