成功か失敗か
2017年2月18日(土)十字架につけられ給いし方のお姿は、すべてのことを成功を尺度として測る考え方を無力なものとする。なぜなら、そのような考え方は、裁きということの存在を否定しているからである。
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この裁きにおいてのみ、神との和解、人間と人間との間の和解が存在する。
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神が人間を御自身の前に立たしめることを欲し給うのは、純粋の愛ゆえである。
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かくてまさにキリストの十字架は、この世界における彼の敗北であるが、しかしこの敗北のしるしとしての十字架こそ、歴史における彼の成功なのである。〔ボンヘッファー〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
54頁
この世界では成功と失敗があります。人生には成功と失敗があります。成功と失敗によって聖会を判断し人生の価値をはかろうとします。しかし成功か失敗かで世界も人生も図ることは出来ません。
神さまは成功か失敗かで世界や人生を図ろうとするこの世に対して、愛を注いでくださいました。十字架と復活によって。成功であっても失敗であっても、神さまは永遠の愛で愛していてくださいます。十字架と復活によってその永遠の愛を示してくださいました。
世界や人生を成功か失敗かでしかはかることの出来なかった私たちに、無限の愛を示すことによって、新しい、そして確かな価値基準を与えて下さったのです。
神さまの最終的なさばきの大きさを知る者は、十字架で示された神さまのさばきの深さを知る者であり、それゆえに復活の喜びの確かさを知る者です。