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第五の祈り

第五の祈り
2017年1月24日(火)

「わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください」(マタイ6・12)
われわれは、はたして人の負い目をゆるしているだろうかと考えるとき、われらがゆるしたるごとくと祈る場合ちゅうちょせざるを得ない。だが、少なくとも祈っている時はすでにゆるしているのではないか。だから、やはり、われらのゆるしたるごとくわれらの負いめをもゆるしたまえとためらわずに祈るのである。

〔黒田平治〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
26頁

黒田平治さんは大正生まれの数学者だそうです。
主の祈りの中の第五の祈りは、自分の罪のゆるしの根拠を自分が誰かの罪をゆるすというところに置いているような祈りです。自分が誰かの罪をゆるしていないならば、自分の罪を神さまがゆるしてくださらないとも考えることの出来る祈りです。
もちろん私のゆるす力に応じて神さまは私の罪をゆるしてくださるなどということではありません。かみさまは一方的な愛を、ゆるしを私に傾けていて下さいます。
しかしそのうえで、やはり救いというのは自分が誰かの罪をゆるすというところではじめて確かにされるのではないでしょうか。人をゆるすことが出来ていないということは、救われた喜びを味わっていないのです。
イエスさまを信じてい歩むということは、人をゆるす恵みに生きるということです。
第五の祈りにおいてイエスさまはあなたもこのように祈ればよいとゆるしに生きる道に罪人の私を招いていて下さいます。
祈りに生きる時、すでにゆるしの道に歩ませられています。


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