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神の真理の本質

神の真理の本質
2017年1月7日(土)

キリストの真理を否定する人は、その本質を変えてしまいます。キリスト教の真理の本質は、それが人を救うためのものだということです。ところが、この真理が否定されれば、それは人を審く真理となってしまいます。彼は自分自身に対する審きを、見に受けることになります。
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私のすべての罪が許されたのだから、私もまた私の隣人を許すようになれるということこそ〈福音〉です。しかしもしも私が、あの悪しき召使(ルカ19・22)のように、自分の罪が許されたのに良い気になって、他の人を審いたりすれば、その同じ〈福音〉がこんどは、自分に対する裁きとなります。
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福音であるべき同じ事実が、こんどは逆に私を訴える律法と変るのです。

〔ヘルムート・ティーリケ〕

『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
9頁

イエスさまの十字架と復活によって私のすべての罪がゆるされたということが福音です。この福音を受け入れるということが救われるということです。救われるということは、かつて神さまによって人間が造られた時、おいていただいたエデンの園に生きることです。尽きることのないいのち、永遠のいのちに生きることです。このように救われた人は、隣人をさばくことから自由になっています。隣人をゆるすようになれるのです。

人間は罪赦されたといっても相変わらず罪人です。他人をゆるすことは難しいことです。時に宗教の名においても審いてしまいます。しかしいずれにせよ、ゆるすようになれないのは、この福音がわかっていないのです。


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