愛を拒否する自由
2016年12月16日(金)地獄は刑罰の場所、天国は褒賞の場所として表されることがよくあります。けれども、このような発想だと、私たちは、神を警察官かサンタクロースのように考えがちになります。警察官は、私たちが間違いをすると捕まえようとし、間違いがあまりにも大きくなると、刑務所に送ります。サンタクロースは、私たちのよい行いをすべてみな数えておき、一年の終りにごほうびを靴下の中に入れてくれます。
けれども、神は警察官でもサンタクロースでもありません。神は、私たちがどれだけ言うことを聞き、また聞かなかったかによって天国に送ったり地獄に送ったりはなさいません。神は愛であり、ただ愛なのです。神には、憎しみも、復讐してやろうという思いも、私たちが罰せられるのを見て喜ぶといったようなこともありません。神は許し、癒し、回復することを望んでおられます。けれども、放蕩息子の父親が、息子に自分で決断させたと同じように、神は私たちにも神の愛を拒否する自由を与えてくださいました。たとえ私たちが自ら破滅する危険を冒すことになるとしても、地獄は神が選ばれるのではありません。それは私たちの選択です。
ヘンリ J.M.ナウエン、『今日のパン、明日の糧―Bread for the Journey』
監修者・嶋本操、訳者・河田正雄、
聖公会出版、2001年11月22日第1刷発行、2015年1月17日改訂版第4刷発行、
412頁。
今回は、どこも切ることが出来ず全文を引用してしまいました。
地獄は人間の選択の結果であること。それをどれだけ知っているだろうか、語っているだろうか、と思いました。