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教会の柱

教会の柱
2016年10月15日(土)

二つの主なサクラメント(秘跡)である洗礼と聖餐は、教会を支える霊的な柱です。
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教会は、洗礼と聖餐を通して目に見えるものとなったキリストの体です。人々が父と子と聖霊のみ名によって洗礼を受ける時、キリストの食卓を囲み、キリストの体と血をいただく時、人々は教会と呼ばれ、神の民となります。

ヘンリ J.M.ナウエン、『今日のパン、明日の糧―Bread for the Journey』
監修者・嶋本操、訳者・河田正雄、
聖公会出版、2001年11月22日第1刷発行、2015年1月17日改訂版第4刷発行、
345頁。

教会とは何か。「教える」「会」と書くので、なにかを教えるところ、学ぶところであると想像します。確かに聖書を教え、信仰の生き方を教え、それらを学ぶところです。しかしそれだけではありません。それ以上に大切なこと、あるいは本質的なことがあります。聖書の言葉で教会は「エクレシア」(ローマ16章1節、5節、第1コリント1章2節など)と言われます。エクレシアとは招集された人々、召された者たちの集まりということです。「召団」と言われたりもします。
何のために召されたのか、招集されたのか。それはキリストの体を形作るためであるということでしょう。キリストの体はどのように形作られるのか。立派な行いをすることによってキリストの体となるのか。高度な知識を得ることによってキリストの体となるのか。いずれも一面でしょう。本質的なことは、洗礼と聖餐です。それらが希薄になった教会、あるいは世俗的になった教会はすでによい共同体かもしれませんが、キリストの体である教会ではありません。
キリストの体である教会にあってはじめて私たちは永遠のいのちに、尽きることのない勝利のいのちに生きる者となるのです。


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