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洗礼、自由への道

洗礼、自由への道
2016年9月27日(火)

誕生によって、子どもは両親に与えられます。洗礼によって、子どもは神に与えられます。洗礼の時、両親は、親となるということは神が親となってくださることに参加することであり、父となり母となるということはすべて神に由来するものであるということを、認め、受け入れます。こうして洗礼は、子どもを自分の所有物にしてしまう考えから両親を解き放ちます。

ヘンリ J.M.ナウエン、『今日のパン、明日の糧―Bread for the Journey』
監修者・嶋本操、訳者・河田正雄、
聖公会出版、2001年11月22日第1刷発行、2015年1月17日改訂版第4刷発行、
325頁。

プロテスタント教会の多くはいわゆる幼児洗礼に消極的、あるいは否定的です。それは洗礼はあくまでも洗礼を受ける本人の信仰告白が基本であると考えるからです。
しかしプロテスタントの中でも主流にある教会の中には幼児洗礼を大切にしている群れもあります。洗礼は、洗礼を受ける本人の信仰告白も大切ではあるが、それ以上の意味もあると考えるからでしょう。
そのそれ以上の意味の中の一つが、幼児洗礼における両親の信仰です。
子どもを自分の所有物にしてしまう考えから両親を解き放つのです。子どもは神さまのものである、ということが確かにされてこそ、子育ての道は整えられます。


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