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ひとりでやってのけようとしない

ひとりの魂のために配慮することが、どれほど困難なことであるかを一度でも知ったならば、それをひとりでやってのけようとして、愛のわざすべてを台なしにしてしまうようなことはしないはずである。

ヴィルヘルム・レーエ

『ノイエンデッテルスアウ奉仕女通信』(1858年)

『魂への配慮の歴史、第10巻、19世紀の牧会者たち 第2』、65ページ

ヴィルヘルム・レーエは1808年にフュルトというドイツ・バイエルン州の町に生まれました。1837年8月1日から1872年1月2日の死に至るまで同じくバイエルン州のフランケン、ノイエンデッテルスアウにて牧師として働きました。このノイエンデッテルスアウという町は毎年夏7月に世界教会祭というキリスト教会の集いが行われるところだそうで、現在でも大変熱心なキリスト教信仰に生きる人たちが暮らしている町だそうです。

約35年間農村の町といわれたノイエンデッテルスアウの教会に仕え続けたレーエの言葉には重みがあります。まずひとりの魂のために配慮することは非常に困難なことであると言います。このことを知っているかどうかは、本当にひとりの人のために配慮することができるかどうかの分かれ道かもしれません。そしてその困難さを知っているものは、それをひとりでしようとしない、と言います。ひとりでやってしまおうとするのは、その困難さを知らないからだといえます。ひとりでやってのけようとすると、愛のわざをすべて台なしにしてしまうのです。

魂のために配慮すること、あるいは牧会は、守秘義務も重なって時に孤独の中での戦いとなります。しかしそれはかえって愛のわざをすべて台なしにしてしまうのです。祈りの友が必要です。できないことをできないということも大切です。できないことをできる人にゆだねること、助けを頼むことも必要です。ゆだねたからには、自分とやり方が多少違っても口出ししないことも大切でしょう。また一緒に協力することは、そこでの恵みの結果をともに分かち合うこと、喜び合うこと、感謝しあうことも大切でしょう。

ひとりの魂のために配慮することの困難さをしっかりと学びたいと思います。


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