,

死者を思い起こす

死者を思い起こす
2016年8月26日(金)

大切な友や深く愛していた人を失った時、私たちは、長い間感情が麻痺してしまうような深い悲しみの内に置き去りにされてしまいます。
・・・
彼らが死ぬ時、私たちの一部分もまた一緒に死ぬのです。それが、悲しみということです。つまり私たちの深みで自分の親しい一部分となっていた人が、少しずつ少しずつ痛みを伴いながら旅立ってゆくことなのです。
・・・
愛する人に私たちの心が余すところなく別れを告げ、離別の悲しみが引く潮のように遠ざかるのに、時に一年あるいはそれ以上の年月を要します。けれども、亡くなった人々を私たちのもとから真に旅立たせる時、これらの人々は私たち自身を成しているものの一部になります。私たちが亡くなった人々を思い起こす時、彼らは私たちの霊の旅路の道案内となってくれるでしょう。

ヘンリ J.M.ナウエン、『今日のパン、明日の糧―Bread for the Journey』
監修者・嶋本操、訳者・河田正雄、
聖公会出版、2001年11月22日第1刷発行、2015年1月17日改訂版第4刷発行、
290頁。

すでに亡くなっているにもかかわらず、その愛する人を「真に旅立たせる」ことをしないならば、いつまでたってもその人は「私たち自身を成しているものの一部」になりません。つまり亡くなったという喪失感と共に、自分の一部にならないという空虚感に生きることになります。未消化の喪失感が空虚感となって人生が引きずられていくという感じでしょうか。

一方「真に旅立たせる」ならば「私たち自身を成しているものの一部」になります。別離の中しみ、その喪失感を、しっかりと受け止めて行くならば、空虚感を克服してゆくことが出来る、ということでしょう。

悲しみは、正しく悲しまれることによって、永遠の恵みを生み出すということでしょう。


投稿日

カテゴリー:

,

投稿者:

タグ: