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コミュニティーの体

コミュニティーの体
2016年7月18日(月)

食卓を囲み、共にパンを割く時、私たちは、一人ひとり変えられるだけではなく、コミュニティーとしても変えられていきます。
・・・
個人としてばかりではなくコミュニティーとしても私たちは、取って祝福され、割かれてこの世に与えられる生けるキリストとなります。

ヘンリ J.M.ナウエン、『今日のパン、明日の糧―Bread for the Journey』
監修者・嶋本操、訳者・河田正雄、
聖公会出版、2001年11月22日第1刷発行、2015年1月17日改訂版第4刷発行、
248頁。

共同体として生かされていること。
プロテスタントの信仰が、どこか個人主義に陥ってしまうのは、聖餐式がよく分かっていないからなのかもしれません。

聖餐卓、聖餐式の机、はコミュニオンテーブルというのですから、そこには共同体が生まれているのです。にもかかわらず、何か個人的な罪の悔い改めが強調され過ぎて、共同体としての信仰のあり方があやふやになっているのかもしれません。

この共同体による連帯は、世界に向かって、一つの体を証ししようとしています。


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