傷ついた癒し人
2016年7月8日(金)大切なことは、恥ずかしい思いをしないですむように「傷をどうやって隠せるか」ではなく、「私たちの傷をどうやって人々のために役立てられるか」という問いかけです。私たちの傷が恥の原因ではなくなり、癒しの源(みなもと)となる時、私たちは傷ついた癒し人となったと言えます。
イエスは、神から来た傷ついた癒し人です。
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私たちもまた、自らの傷によって人々に癒しをもたらすことが出来るでしょう。ヘンリ J.M.ナウエン、『今日のパン、明日の糧―Bread for the Journey』
監修者・嶋本操、訳者・河田正雄、
聖公会出版、2001年11月22日第1刷発行、2015年1月17日改訂版第4刷発行、
238頁。
私たちはみな弱く、肉体的、感情的、精神的、霊的に傷を負います。傷つきます。
問題は傷を負うか負わないかではなく、みな傷を負うのですから、その傷を「隠す」ように生きるのか、それとも「人びとのために役立てる」ようにいきるのか、です。
隠そうとする人生には平安がありません。
しかし人びとのために役立てようとする人生には平安と喜びが生れます。
傷ついた癒し人として生きる道を選び取りましょう。