もう罪を犯してはなりません

「その後、イエスが再び彼に出会われた時、〈もう罪を犯してはなりません。そうでないともっと悪いことがあなたの身に起こるから〉(14)と警告された。これは、彼の病気が罪の結果であったことを暗示するが、イエスが彼の肉体的健康よりも霊的生活にいっそう心を配っておられたことを示す。」

(『新聖書注解』、「ヨハネの福音書」、469頁)

「彼の病気が罪の結果であったことを暗示する」。果たしてそうでしょうか。聖書はそのようなことを暗示しているのでしょうか。同じヨハネの福音書9章の冒頭では、道端の盲目の人が盲目に生れついたのは誰が罪を犯したのかとの弟子たちとの問いに、イエスさまは、誰が罪を犯したのではない、神の業が現れるためである、といわれました。これが聖書の語る基本的なメッセージだとすると、ヨハネ5章14節のことばを、上記のように注解するのは少し間違っているのではないかと思います。

ではここでイエスさまが罪といっておられるのは何か。それは38年間もの間しばられていた床を担げなかったということ、絶望の中に神の愛を受け入れられないということ。罪とは、神の愛を受け入れない心そのものではないかと思います。救われてもなお、私たちが神さまの愛を受け入れ続けること。神さまの愛に生かされ続けること、聖霊に満たされ続けることは、信仰生活の大切なテーマなのです。神さまの愛を拒むことは、たとえ病気にはならなかったとしても、人生に重大な問題を抱えることになるのです。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: