教会の目的
一定の能力、財力、そして共通した価値観、そのような人々を集めれば、団体としては纏まりが良いわけで、団体を構成する時にそういう配慮をするのは当然でしょう。しかしそのような配慮を必要としない、従って雑然としたままでよい、というより雑然としたままでなければならないような団体があります。教会がそれです。教会とは、雑然としたものが互いにいたわり合って調和してゆく、そのこと自体を目的とする団体なのです。教会にあっては、調和は何か事をするための条件ではなく目的であることを忘れないようにしましょう。
藤木正三、『神の風景 人間と世間』、ヨルダン社、1985年11月27日、148頁
教会とは「雑然としたままでなければならないような団体」と藤木先生は書かれています。教会に仕える者としてわきまえておかなければならないことではないかと思っています。教会のビジョン、目的をはっきりとされて、福音の前進のために仕えるものでありたいと思いますが、ビジョンや目的に向かって教会が道具となってしまうことがあるようにも思うからです。
神学校のときに当時学長で教理史などを教えてくださった敬愛するI先生が「教会とは信じるものです」と言われたことを今も忘れません。