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「(天使は言った。)今日・・・あなたがたのために救い主がお生まれになった」。 ルカによる福音書2章11節

〔クリスマスの奇跡〕

2015年12月24日(木)

「あなたがたに」今日救い主がお生まれになった、と主の天使は言います。あなたがたのために神は神だけであろうとせず、人間になろうとされた、あなたがたのために身分の低いものとなられた、あなたがたが栄光に相応しくなるために。
・・・
教授だったらこう言ったでしょう、人間たちに救い主がお生まれになったと。ああ、まことにそうです、一般的に言って人間たちにです。すると人はこう考えます、私はその一人ではない、それは別な人だろう。・・・だが主の天使は羊飼いたちを示し、私たちを目指します。天使の報告は呼びかけであります。あなたがたに今日救い主がお生まれになった! あなたがたに。私たちが誰か、その報告を理解するかそれともしないか、善良で敬虔な人間であるか否かを問うことなく。「あなたがたが言われているのです!」。あなたがたは、このことが生じた当の人びとなのです!―いいですか、クリスマス・ストーリーは私たちがいなくては起こりません。私たちはこの歴史(ヒストリー)の渦中にいるのです。
・・・
主の天使はあなたを、私を指して、言います、あなたがたに!
・・・
ですから、私たちは主の食卓である聖餐式に出かけて行き、一つのパンから食し、一つの杯から飲むのです。「取って食しなさい! すべての者たちよ、その杯から飲みなさい!」。それゆえにキリスト者の生命全体がただ一つの大きな聖体拝領(コムニオン)、救い主との交わり(ゲマインシャフト)であり、従ってまたお互いの間の交わりでもあります。救い主との交わりは(の)無いところでは、お互いの交わりもなく、お互いの交わりは(の)無いところでは、救い主との交わりもありません。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、681f。

クリスマスの知らせは、全人類のための救いの知らせです。
しかしその知らせを伝える天使は、「全人類のために」とは言わず「あなたがたのために」と語りました。
それは、
1、神がこの「わたしの」ような身分の低い者のところに来てくださったということ。
2、だれかれのためではなく「わたしの」ために来てくださったということ。
3、わたしだけではなく「わたしたち」のために来てくださったということ。

神さまの一方的な恵みによって、神さまとの人格的な、そして個人的な交わりの中にこの私が入れていただいたこと。その交わりは、自分一人ではなくk、すべての人と共に与るものであること。
ここの真の救いがあります。

(祈り)
神さま、主のご降誕を心からお祝いします。


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