〔約束と成就〕
2015年12月20日(日)
「成就」という概念の特定の理解に対し、抗議がなされなければなりません。
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神の国が来たというのではなく神の国が近づいた
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希望において救われていること(ロマ8章24節「わたしたちは、このような希望によって救われているのです」)に他なりません。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、674ff。
信仰に生きるということ、愛に生きるということは、希望に生きるということです。
希望に生きる者だけが、愛に生きることができます。
「成就という概念の特定の理解」に生きてしまうならば、愛に生きることができなくなり、信仰に生きることができなくなります。なぜならそこには希望がないからです。
成就という概念の特定の理解とは、いったいなんでしょうか。
それは「神の国が来た」ということを、福音と理解してしまうことでしょう。
真の福音は「神の国が近づいた」という言葉の中にあります。
(祈り)
神さま、希望に生きる者としてください。