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「わたしたちは・・・天に属するその人の似姿にもなるのです」。 コリントの信徒への手紙第1 15章49節

〔死者の復活 ― 第1コリント15章〕

2015年11月20日(金)

この天に属する方に、天に属する者たちが続きます。私たちはこの方の似姿を担うでしょう。
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私たちとキリストの間には「何ら連続性」はありません。「希望」という関連があるだけ。しかし、希望という関連の本質は「私たちは担うでしょう」にあります。要求の「私たちは担おう」ではなく、「使徒的直説法!」なのです。
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パウロは質問者である見物人を、その気楽な立場から引き抜いて、復活が真理である闘いの只中に立たせます。
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理論においてではなく、この闘いの実践においてのみ希望はまさに理解されねばなりません。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、618f。

イエスさまは十字架に架られ死なれ三日ののちに甦られました。甦られたイエスさまのからだは、光り輝く天使のようです。扉が閉じらてていても部屋に入ることができます。しかし脇腹の槍の跡や手の釘の後が残っています。食事を弟子たちと共にすることができます。ともに歩くことができます。弟子たちにはだれか分からないお方でありつつ、パンを共に食する瞬間に分かるお方であり、分かった途端に見えなくなってしまうお方であります。これが復活のからだ、栄光のからだであると聖書は語ります。
私たちもこの復活のからだ、栄光のからだに結び付けられました。理屈ではなく、希望によって確信しています。

(祈り)
神さま、復活のからだに結び付けられた者としていただきましたことを感謝します。


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