〔最後の出来事〕
2015年11月13日(金)
神の永遠性こそは、世界の、時間の、物事の、人間の無限性に限界を置くことであります。
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永遠が時間そのものを制限し、有限化するなら、永遠は時間を終わりのあるものと定めますが、永遠が時間を定めるのです。このことを一度理解した者は、終わりの歴史を終末史と混同する誘惑から解放されているでしょう、たとえ終末史がどれほど力強く素晴らしくあろうとも。
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最も超自然的様式の最大の、重大な大惨事の時期についても、原則として、終わりは近い! このことだけが言われるべきでしょう。
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永遠を大きな虚無と混同して、終わりの歴史を絶滅破壊の歴史だとするもう一つ他の誘惑からも、その人は解放されているでしょう。
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一切の存在しているもの、知られているもの、私たち自身のものの根源と真理を、万物の現実性を、時間の永遠性、使者たちの復活を対峙させるのであります。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、605f。
信仰者は、あらゆることの中にあって「終わりは近い!」と告白しつつ歩むことが許されています。そしてその終りには「復活がある」と告白して歩むことが許されているのです。
どのような大きな喜びの中にも謙遜をいただき、どのような深い悲しみの中にも希望を失わずに生きることが許されているのです。
(祈り)
神さま、復活の希望に生かしてください。