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有罪である!

〔終わりつつある時〕

2015年11月5日(木)

私たちの始まりと終わりの間に、従って私たちの神からの出発と新たな最終的な神との対決の間に、底無しの、取り返しのつかぬ「罪」の事実があります。
・・・
私たち人間が実際出会うような死は、私たちの上にくだされた神の「審判の徴」です。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、592f。

本当に自分が罪人であるということを知ることは、信仰に不可欠のことです。信仰を持つためには、自分が罪人であることを知らなければなりません。

自らの罪の深さをどれだけ自覚しているのでしょう。
その罪が、死罪に当たるということをどれだけ自覚しているでしょう。

(祈り)
神さま、十字架において神であるお方が死ななければならないほどの罪、それが私の罪の大きさであったことを知ることができるように信仰を与えてください。


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